習近平は何回失脚するのか――「中国崩壊」がSNSの定番ネタになってきた

また習近平が失脚するらしい。

SNSを見ていたら、そんな話が大量に流れてきた。軍の人事がおかしい、重要会議への出席が減った、長老が動いた、軍の実権を失った――詳しく読めば、それぞれにもっともらしい説明が付いている。

最初の頃なら私も「何か起きているのか?」と思って読んでいた。

しかし、さすがに回数が多すぎる。

私の記憶だけでも習近平は何度も失脚しかけているし、中国共産党も何度も崩壊寸前になっている。それでもしばらくすると、普通に習近平が国家主席として出てくる。

最近では「ついに来たか」より、「今回は何回目だろう」が先に来るようになった。

何度も鳴らした非常ベルは、本番でも信用されない

この手の話で厄介なのは、いつか本当の情報が混じっていても分からなくなることだ。

「中国崩壊」「習近平失脚」「共産党内部に重大な異変」と何度も聞かされ、そのたびに何も起きなければ、受け取る側は慣れる。

本当に大きな異変が起きた日にも、

「はいはい、また中国崩壊ね」

となる。

完全にオオカミ少年である。

しかもSNSは、外れた予言を忘れるのに都合がいい。去年「習近平失脚間近」と言っていた人が、今年また「ついに習近平失脚」と投稿しても、去年の投稿ははるか彼方へ流れている。

予言する側にとっては便利な仕組みである。

そして、これだけ同じ話が繰り返されるのを見ると、「中国崩壊」はもはや単なるニュースではなく、一つのコンテンツジャンルとして成立しているのだと思う。

YouTubeを見れば「中国経済崩壊」「共産党内部で亀裂」「人民の不満が爆発寸前」「習近平に異変」といったタイトルがいくらでも出てくる。

タイトルだけを眺めていると、中国は毎週のように国家存亡の危機を迎えている。

人は「正しい情報」より「見たい物語」をクリックする

なぜこれほど繰り返されるのか。

単純に、需要があるからだ。

人間は自分が見たい物語を好む。嫌いな企業なら「倒産危機」という記事を読みたくなるし、嫌いな有名人なら「人気急落」というタイトルが気になる。

中国に強い反感を持っている人にとっても同じである。

「中国経済は問題を抱えながらも巨大な経済規模を維持している」

より、

「中国、ついに崩壊へ」

のほうが気持ちいい。

しかもSNSとの相性が抜群にいい。

「中国の政治情勢については複数の情報があり、現時点では最高指導部の権力構造に重大な変化が生じたとは確認できない」

では弱い。

「習近平失脚か!」

なら強い。

短い。分かりやすい。続きを読みたくなる。

そして一度その手の動画を見ると、次は「習近平に異変」、その次は「共産党内部でクーデターか」と似たコンテンツが並び始める。

しばらくすると、自分のタイムラインでは中国が本当に崩壊寸前に見えてくる。

中国が変わったのではない。

自分の画面が変わっただけである。

習近平が失脚しても、期待した物語になるとは限らない

もう一つ気になるのは、仮に今回の失脚説が本当だったとしても、それでネット上で期待されている結末になるとは限らないことだ。

習近平がいなくなれば中国共産党がなくなるわけではない。

中国が突然、西側型の民主主義国家になるわけでもない。

次の指導者が日本に友好的である保証もない。中国国内の権力闘争が激しくなれば、むしろ日本にとって面倒な展開になることもある。

ところがネット上では、

習近平失脚 ↓ 中国共産党混乱 ↓ 中国弱体化 ↓ 日本にとってめでたい

という物語が、なんとなくワンセットになっている。

現実の国際政治がこんなにきれいな三段論法で動くなら、専門家はずいぶん楽な仕事である。

さらに言えば、中国が本当に大混乱になった場合、日本も笑ってはいられない。

中国は遠く離れた無関係な国ではない。日本企業は大量に取引しているし、部品、製品、物流、観光、金融市場まで深くつながっている。

隣の巨大経済圏が派手にこけて、

「やった、日本の勝ちだ」

とはならない。

マンションの隣の部屋が大火事になって、「嫌いな隣人だったから良かった」と喜んでいるようなものである。

こちらにも煙は来る。

「中国崩壊」は終わらない連続ドラマになった

考えてみれば、この手のコンテンツにはすでに完成された脚本がある。

最初に中国の悪いニュースが出る。専門家らしき人が「これは重大な兆候です」と解説する。実は内部では想像以上の混乱が起きていることになり、最後には「いよいよ体制も限界か」となる。

毎回だいたい同じ展開である。

海外ドラマなら、そろそろ「またこのパターンか」と視聴者に飽きられて打ち切りになりそうなものだが、中国崩壊シリーズは強い。

何しろ最終回が来ない。

今回流れている失脚説が本当なのかどうか、私には分からない。中国共産党内部の権力関係は外から見えにくい。本当に大きな変化が進んでいて、後から振り返れば「あの時の噂が最初の兆候だった」となることもあるだろう。

ただ、何度も同じ言葉を使えば、その言葉自体の価値は下がる。

「崩壊」「失脚」「クーデター」。

どれも本来は国家を揺るがす大事件を表す言葉なのに、すっかり安くなった。

そして来月あたり、また新しい「重大な異変」が流れてくるのだろう。

そのときも私はたぶん読む。

信じるためではない。

今度はいったい何が原因で習近平が失脚するのか、ちょっと楽しみになってきたからである。

これだけ何度も失脚できるのだから、ある意味では習近平の政治生命は相当に強い。

普通の政治家は、一回失脚したら終わりなのだから。