日本の大企業に納品するとき、動くコードは成果物の半分でしかない
日本の大手企業や官公庁にシステムを納品する。 海外の開発会社が最初に驚くのは、求められるものの量だ。
動くシステムを作れば終わり、にはならない。 残りの半分は、ドキュメントとチェックシートで来る。
そして、この半分が見積もりに入っていないと、そのまま赤字になる。
■ 担当者が「いいですね」と言っても、何も決まっていない
日本の企業の意思決定は合議制で動く。
打ち合わせに出てくる担当者は、多くの場合、決裁権を持っていない。 その人が社内を説得し、複数の部署の承認を取り、上申していく。 これを稟議と呼ぶ。
だから、担当者の反応が良くても、それは案件が進むことを意味しない。 逆に、反応が薄くても社内で通ることがある。
ここで重要な視点がひとつある。
担当者はあなたの交渉相手ではない。 社内であなたを推している側だ。
つまり実務としてやるべきは、値引きの提示ではなく、 その人が社内で使える資料を渡すことになる。
比較表。導入効果。リスクと対策。他社事例。 これらは、あなたが読ませるためではなく、担当者が上司に見せるために要る。
早い段階で「最終的な決裁者はどなたですか」「稟議はいつ上げますか」と聞く。 嫌がられる質問ではない。むしろ、分かっている相手だと思われる。
■ セキュリティチェックシートは、Excelで数百項目来る
契約前の審査で必ず出てくるのがこれだ。
データの保管場所。 通信と保存時の暗号化。 アクセス制御と権限管理。 監査ログの取得と保管期間。 脆弱性診断の実施状況。 インシデント発生時の報告フロー。 再委託の有無と再委託先の管理。 従業員の入退社時の権限処理。
これがExcelのシートで、数百項目単位で送られてくる。 回答期限は短いことが多い。
ここで効くのが認証だ。 ISO 27001(ISMS)や SOC 2 を持っていると、多くの項目を「取得済み」で回答できる。 無い場合は一項目ずつ書くことになる。
そして重要なのは、この回答は資産になるということだ。
一度作れば、次の案件で8割は使い回せる。 案件ごとにゼロから書いていると、営業のたびに数日が消える。
最初の一社で丁寧に作って、社内で管理する。
■ 検収されるのは、コードではなくドキュメントだ
請負契約には検収がある。 そこで確認されるのは、動作だけではない。
基本設計書。 詳細設計書。 テスト仕様書と、その実施結果。 運用手順書。 障害対応手順。
これらが揃っていないと、システムが動いていても検収が通らないことがある。
しかも日本語だ。 フォーマットを指定されることもある。
工数で言うと、規模にもよるが全体の2〜3割がここに乗る。
海外の開発会社の見積もりは、この部分が抜けていることが多い。 実装工数だけで出すと、後から2割以上の持ち出しになる。
見積書の段階で、ドキュメント作成を独立した項目として出しておく。
■ 開発環境そのものに制約がかかる
大手や官公庁の案件では、環境が分離されていることが多い。
開発環境、検証環境、本番環境。 本番は閉域網でインターネットに接続できない。
さらに、持ち込みPCが使えず、貸与端末やVDI経由でしか作業できないこともある。 自分の開発環境が使えない。ツールも入れられない。
リモートでの作業が認められず、常駐を求められる場合もある。
これは技術的な難易度の話ではなく、生産性の話だ。 同じ実装量でも、この制約下では工数が変わる。
契約前に、作業環境の条件を必ず確認する。 「リモート可か」「開発端末は何を使うか」「インターネット接続はあるか」。
■ スケジュールは年度で動く
日本の会計年度は4月から翌年3月だ。
予算は年度単位で確保される。 だから納品は3月に集中し、翌年度の案件は11月から1月あたりに検討が始まる。
この時期を外して提案すると、予算が付くのが1年先になることがある。
「今すぐには決められない」と言われたとき、 それが検討の遅さなのか、予算サイクルの問題なのかで、打ち手がまったく変わる。
聞けば教えてくれる。
■ 納品前に、第三者の脆弱性診断が入る
セキュリティ要件のある案件では、納品前に外部業者による脆弱性診断が実施される。
そこで指摘が出れば、対応して再診断になる。
この期間を工程に入れていないと、納期を割る。 診断そのものの日程も、業者の空き次第で押さえにくい。
スケジュールを引く段階で、診断と指摘対応の期間を確保しておく。
■ 自分ならこう進める
私が海外の会社から相談を受けたら、この順で進める。
まず、契約前に3つ確認する。 セキュリティチェックシートの有無と項目数。 納品ドキュメントの一覧とフォーマット指定。 作業環境の制約。
この3つで、実装以外の工数が見える。 見積もりはそれを含めて出す。
次に、決裁のルートを聞く。 担当者が社内で使える資料を用意して、稟議を通しやすくする。
そして、年度のどこにいるかを確認する。
最後にひとつ。
こうした要求は、理不尽に見えるかもしれない。 だが、日本の発注側にとっては、社内を通すために必要な手続きでもある。
要求の量に驚くのではなく、 それを最初から工数に織り込んで見積もれる相手だと示すほうが、はるかに信用される。